アンディシュ・ハンセン「スマホ脳」メモ書きかけ
人間の体や脳は人間の歴史で長期間を占める狩猟生活時代の社会へ適応するよう作られており、現代社会に適応していない。
脳と体のシステムで注目すべきはストレスのシステムと報酬系のシステムである。どちらも感情を用いて、人間へ行動を促す。
ストレスシステムについて
感情は、人間を狩猟時代に適切だった行動をさせるための機能である。不安やストレスは現代社会に起因するが、脳はそれらへの解消法を狩猟時代のストレスへの対処に紐付けてしまい、現実への対処にならない反応が体や脳に起こってしまう。これが鬱などの症状によって現れる。
自分の感情が、現代社会に対応していないという理解をもつべきである。
報酬系システムについて
報酬系システムには、集中する対象を選択させるためのドーパミンと、行動したことによる満足感を与えるエンドルフィンとがある。
備忘
少なくとも自分にとって大切な人にはいい影響を与える人間になりたいと思う。
今まで一人でいる時は暗くなっても自分に返ってくるだけだったが、自分が好きで一緒にいる人がいる場合、親しい故にその人へも感情が波及し得ることを最近体感した。好きな人は自分が幸せにしたいものだ。
自分に対する怒りの代理的な対処について
自分に誤りがあったとする。
それを言語化して人に伝えようとするときに逃げの精神が生じている。
欠点について自己認識はあるのだという態度。
そういう態度をとるときに、スーッとする達成感のようなものを感じる。
この感情は代理的で、本来は欠点を直すために行動することが正しいのだが
言語化することで満足してしまう。
この言語化するときに心のすみに湧き上がる達成感は
はたから見ると気持ち悪い。
似たような気持ち悪い感情は以下のような時にも起こる。
・自分の気に入らない人の悪口を誰かが言った時、
さらには間接的にその人が悪口を言うよう自分が働きかける時。
今この記事を書いている時も上記のような達成感を感じている。
対処法はそのような感情がおこりそうな行動をとらない(記事を書かない??)
こと、行動をとった後に感情に身を委ねないよう冷静になること。
今週の反省
今週の反省
①来週月曜までにやらねばならない仕事があるのに、月曜に別の予定を他の人から入れられているのを忘れ、思い出し上司に相談した時には時間の融通が不可となっていた(もっと早く伝えていれば、休日出勤などで対応ができた)。結果、代わりにその仕事を行うために、上司に早く出社する必要が生じ、上司に迷惑をかけた。
原因: 別の予定は自分にとって優先順位が低く、予定は当日確認すればいいやと思っていた。
また、予定を入れてきた方からリマインドメールが送られるだろうと思っていた。
→重要と認識している予定は何もしなくても忘れることはないが、自分がどうでもいいと思っている予定は忘れやすい。
今後は、どうでもいい予定ほど、スケジュール帳に記入するなどして忘れないようにする。
仮に相手が入れてきた予定だとしても、面倒くさいが、予定の詳細がわからなければ自分で確認する。
②女性と食事の予定を入れたが、向こうは二時間ほどで次の予定のため移動する必要があった。それを認識していたのにもかかわらず、食事(コース)の所要時間を確認することをせず、結果彼女を次の予定のために走らせることになってしまった。
原因: 店の食べログページに、コースは二時間程度、と書いてあるのは認識していたが、まあ大丈夫だろうと思った。なぜか?
・そもそも自分が食事にあまり乗り気ではなく、相手に対してもどうでもいいと思っていた
・コースがそんなに長くなるとは思っていなかった。二時間程度と認識はしたのに?
時間の試算をしなかった。コースの料理を早く持ってきてもらうといった対応をしようという発想が予約時点ではなかった。
→今後は、特にコースの場合、所要時間を目視で認識したあと、食事の終わる時間を試算する。時間が間に合わなそうな場合は、コースではない店を選ぶか、コースの時間を短縮できないか店に聞いてみる。
人との関わり方を変える
私には、自分より立場が上だと思う人間に対して反抗的に、自分より立場が弱いと思う人間に対して下手に出る傾向がある。
これは、非常に気持ちの悪い行動だと思う。なぜこのような行動を取るのか。それは、自分が腫れ物のように扱われるのが辛いため、自分より立場が弱いと思う人を見つけて彼らを保護しているという認識をして自分の尊厳を保ちたいからだ。つまり自分が弱い立場にいるという自己認識を認めたくないという傲慢である。そもそも自分より立場が弱いと他人を認識するのも自分であり、その認識が既に傲慢である。
私が認識してきた人間関係は無力感からの逃走の連鎖だったのではないかと思うことがある。家族関係は間違いなくそうだった。
問題は社会にはそのような形以外の人間関係もあり得るのだが、他の関係性に投げ込まれたとき、今までの私は対応が分からず孤立しやすかったことである。