私にとって何か書くことの目的は何か
今までは不満や悲しみをそのままぶちまけるだけだったが、それが自分の精神状態に良い影響を与えたかは疑わしい。
別に私は文学的な作品を作って生計を建てようとも思っていない。書くことによって弱い自分を乗り越えることが私にとっての意味である。
私にとって何か書くことの目的は何か
今までは不満や悲しみをそのままぶちまけるだけだったが、それが自分の精神状態に良い影響を与えたかは疑わしい。
別に私は文学的な作品を作って生計を建てようとも思っていない。書くことによって弱い自分を乗り越えることが私にとっての意味である。
私は、自分は謝罪することがどういうことなのかをちゃんと考えるべきだと思う。
以前は親しみを感じていた知り合いに、しばらく会わないうちにすごく距離を感じるようになった時に自己嫌悪を感じる。
はじめからかなりの距離を持って接していた人となら、時間を置いても以前のように接することができるが
人が恋しいがいたらいたでめんどくさいと思ってしまって始末に終えない。
公私の境目が問題だ。
一度自分のものと思ったら、それを奪われることに対して恐怖心を覚えるようになってしまうというのが、妬みと並んで広くいさかいが生じる心理的要因であるような気もする。私は自分のこのいわゆるジェラシー(特に友人や好きなひとなど他人を所有しているという思い込み)に今まで振り回されたきたので、それを抑えようと気を付けていた。
しかしものを管理をする上で、自分のものと思う、自分事と思うというのは、モチベーションを維持するために役立つのではないか。なにしろ自分のジェラシーは御しがたい。しかしジェラシーを常に否定するのではなくて、その御しがたさを利用すべき、利用できる事柄もあるのではないか、と最近思うようになった。具体的にはお金である。
学生の自分は現在ほとんど親の仕送りで暮らしており、生活費を自分のものと思うことはしたがっておこがましいと思っていた。しかし金銭管理が出来ていない、浪費癖が治らないのは、お金を自分のものと認識していないことに一因があるのではないか。
大事なときに風邪をひいた
しかし風邪をひきたかったのかもしれない
体調管理も杜撰だったしだらだらし続ける理由がほしかったのかもしれない